「『松野殿御返事』には、十四の法華経への誹謗、つまり十四誹謗について記されています。
誹謗とは、”そしる”ことですが、そのうちの最後の四つは、軽善、憎善、嫉善、恨善といって人に対するものです。御本尊を持つ人を、軽蔑したり、憎んだり、嫉妬したり、恨んだりすることです。一言すれば、同志への怨嫉であり、いがみ合いです。
日蓮大聖人は、十四誹謗の罪は極めて重いので、『恐る可し恐る可し』(御書1382㌻)と、戒められている。怨嫉というのは、自分の功徳、福運を消してしまうだけでなく、広宣流布の組織を破壊していくことになる。だから怖いんです。
皆が心から団結できない。どうも、組織がすっきりとまとまらない。皆、頑張っているのに、功徳を受けられないでいる――そうした組織をつぶさに見ていくと、必ず、怨嫉問題が潜んでいます」
なぜ、御本尊を持った人同士が、時には幹部同士が、怨嫉し合うことが生ずるのか。
大聖人は、「十四誹謗も不信を以て体と為せり」(同九七ページ)と御指摘になっている。
皆が仏の使いであり、地涌の菩薩であることや、生命の因果の理法など、妙法を信じることができないところに、その根本的な要因があるのだ。