今、北海道の日本海沿岸が各地で白く濁っている。ニシンの群れが産卵で押し寄せる「群来」という現象だ。なかでも江差町では大正2年以来、104年ぶりとのこと▼「春告魚」の異名を持つように、かつて春はニシン漁で栄え、全国へ向かう北前船は大にぎわいだったが、近年は激減し、群来も見られなかった。関係者は資源回復を目指し、稚魚の放流を地道に続けてきた▼豊漁か不漁かは運次第、という面もあろう。だが「それだけではない」と、50年近く漁師として生きてきた壮年部員が語っていた。「人一倍の努力と研究、そして真剣な祈り。豊漁は、自分がつかみとるものです」と▼104年前といえば、第2代会長の戸田先生は13歳。北海道・厚田の尋常小学校高等科に通っていた。首席で卒業後、進学を断念して始めた仕事は、海産物の買い付けや問屋への引き渡しなどだった。ニシン漁が不振になった後年、どうすれば苦境を打開できるか、村民と真剣に討議し、心尽くしの援助もしている▼今年は「農漁光部の日」40周年。私たちの生命の営みは、大地や大海と向き合い、心血を注ぐ人々の尊き奮闘によって支えられている。かつて池田先生は詠んだ。「不思議なる/地球の恵みの/尊さよ/豊作豊漁/今日も祈らむ」(鉄)