「いづくも定めなし、仏になる事こそつゐ終のすみかにては候」
どこに行っても無常である。どうなるかわからない。仏になることこそ、最終的な「家」なのである。 人生の総決算に問われるのは蔵の財でも身の財でもない。いかなる「心の財」を積んできたかである。
木も小さいうちは、少しの風にも揺れる。人間も、生命力が弱ければ、少しの悩みの風にも紛動されてしまう。娑婆世界である以上、風を止めることはできない。自分が強くなる以外にない。自分が大木になればどんな大風も平気である。むしろ楽しんでいける。
「いづくも定めなし、仏になる事こそつゐ終のすみかにては候」
どこに行っても無常である。どうなるかわからない。仏になることこそ、最終的な「家」なのである。 人生の総決算に問われるのは蔵の財でも身の財でもない。いかなる「心の財」を積んできたかである。
木も小さいうちは、少しの風にも揺れる。人間も、生命力が弱ければ、少しの悩みの風にも紛動されてしまう。娑婆世界である以上、風を止めることはできない。自分が強くなる以外にない。自分が大木になればどんな大風も平気である。むしろ楽しんでいける。