生命の内奥には「元品の法性」と「元品の無明」が存在する。すなわちわれらの胸中の一念には、固定したものはない。青空があり、嵐があり、太陽があり、雪があり、曇天がある。
「元品の法性」とは、信心した生命の青空のような状態であり、これは、われわれをとりまく万象のうえに梵天・帝釈の働きとして現れる。「元品の無明」は、第六天の魔王として現れ、嵐のごとくみずからも苦悩し、人をも苦悩させゆく生命の働きである。
嵐や曇天の生命を青空へ、太陽の輝きへと、胸中の宇宙を変えていくのが、勇気ある「信心」の二字なのである。
いくら電灯があっても、スイッチを入れなければつかない。明るい毎日をおくりゆくために、このスイッチをつねに入れておくことが大事だ。妙法の電源につなぐスイッチが信心である。
「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」との厳しき御聖訓がある。
ゆえに、いくら御本尊を受持しても、信心がなければ無益であるという道理がここでわかる。御本尊があり、御書があっても、また励ましの同志がいても、信心がなければ、功徳の明かりはともらない。
妙法の明かり明々とともしての人生は、誤りなき人生行路となる。だが、明かりなき人生は闇夜のごとく危ういものだ。