池田先生ご指導

頭では、題目の意味も、経文の意味も理解できなくても、それを読み、唱えることによって、生命の深い奥では、その意味や意義がわかったのと同じように、

意味がわからなくてもいいのかという点について。事実、南無妙法蓮華経がどういう意味なのか。方便品・寿量品に書かれていることは何なのかということがわかるためには、相当、仏教哲学を掘りさげて学ばなければなりません。しかし、信仰は、まだ、それがわからなくても、まず実践することから始まるのです。
それはどうしてかといいますと、私達の理性の範囲では、まだ理解できなくても、生命それ自体とか、無意識の深層の世界では、これを十分に受けとめ、それに反応する働きがあるのです。これは、例えば、赤ん坊が何もわからなくても、乳をのむことができるのと同じです。頭では、題目の意味も、経文の意味も理解できなくても、それを読み、唱えることによって、生命の深い奥では、その意味や意義がわかったのと同じように、これを吸収し、それに応じた発動が行われていくのです。

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