小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 百三十五 2018年9月4日

スポンサーリンク

 法悟空 内田健一郎 画 (6465)

 香港・マカオの最高協議会で山本伸一は、香港の輝ける歴史に言及していった。
「大聖人の未来記である仏法西還への歩みは、この香港から始まった。そして、一九七四年(昭和四十九年)五月から六月の、日中友好の『金の橋』を架ける初の中国訪問も、ここ香港から出発し、ここ香港に帰ってきました。
また、世界七十三大学(当時)と学術教育交流を広げる創価大学の『第一号の交流校』となったのは、香港中文大学です。さらに海外初の創価幼稚園の開園(九二年)も香港でした」
そして、香港・マカオのメンバーは、「二十一世紀もまた、その尊き大使命に生き抜いていっていただきたい」と、力強く励ました。
折しも、この年の二月、インドの創価菩提樹園に待望の講堂が完成し、前月の十一月二十六日、創価学会創立七十周年を祝賀する、インド創価学会の総会が創価菩提樹園で盛大に開催されたばかりであった。月氏の国インドで、日蓮大聖人の太陽の仏法がいよいよ赫々と輝き、社会を照らし始めたのだ。伸一は、二十一世紀の壮大な東洋広布、世界広布の道が、洋々と開かれていることを実感していた。
五日夜、伸一と峯子は、香港の陳方安生政務長官官邸での晩餐会に招かれた。
長官は、一九九三年(平成五年)、総督に次ぐ立場である香港行政長官に、女性として初めて就任し、九七年(同九年)の中国返還以降は、行政長官に次ぐ政務長官として活躍していた。
また、長官の母は現代中国画の巨匠・方召麐画伯であり、ちょうど、この時、東京富士美術館では、創立者の伸一の提案による「方召麐の世界」展が開催中で、好評を博していた。伸一は、九六年(同八年)に香港大学で、この母娘二人と共に名誉学位を受け、その後、交流を重ねてきたのである。
伸一たちは、方家の家族らの歓迎を受け、香港、そして中国の未来の繁栄を念願して意見交換した。眼下に広がる“百万ドルの夜景”が美しかった。