妙法流布、自他共の成仏という大願を持って生き抜く強き信心の人は、露のようにはかない命を永遠の生命の大海に一体化させ、塵のように取るに足らない人生を確固たる妙法の大海に根付かせていけるのである。それが、法華経ゆえに命を捨てるということなのである。
大聖人の仏法においては、身を捨てるということは、宇宙法界に我が身を施す境涯に転じていくことであり、本理たる妙法に基づく自分へと蘇生することを意味しているのである。
池田先生とともに戦わせていただけることが「春」、「魔」と戦えること自体が「春」。
冬が去ろうとする時には、必ずと言っていいほど、寒の戻りがある。
もうこれで春だな、もう心配ないなと思っても、北風は容赦なく繰り返し吹き抜けます。どこまでも、どんな時にも前進の歩みを止めることなく、妙法を信じて前進し続けることが何より大切なことです。
果敢に挑戦の気概を燃え立たせ、中途半端を拝して、一つ一つに明確な決着をつけていく。この繰り返しのなかで、自身の底力、自力が鍛えられと言える。
直面する困難や試練にも、決して負けない強き自己が築かれる--。これこそ、大聖人が仰せの「春」の境涯であり、成仏の境涯なのではないでしょうか。