池田先生ご指導

勤行・唱題をしたときに、自身の生活のうえに不思議なるリズムと充実がわくことを、皆さん方はつねに体験しているにちがいない。

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勤行せず教学のみを学んでも意味がない。身近な例で例でたとえるなら、いままで勤行をしていても、勤行をしなくなった場合は、電流のスイッチを切ったに等しく、たとえ絶対なる御本尊があっても、なんの功徳も得られないのである。


信心が進めば行学が要請されるし、行学が進めば信心はいちだんと深まっていく。


勤行・唱題をしたときに、自身の生活のうえに不思議なるリズムと充実がわくことを、皆さん方はつねに体験しているにちがいない。反対に、これを怠ったときに、自分の生活がリズムにのらず、空虚で満ち足りない。まさに反価値としかいいようのない厳しい体験をした人は、このなかにもおられるはず。


「相如是が第一の大事にて候へば仏は世にいでさせ給う」
方便品で説く十如是のなかでも、相如是から始まっており、これこそもっとも大切なのだ、と仰せでなのである。
真実の信仰者としてお振る舞いをしているかいないかは、如是相で厳然とわかってしまうものだ。また怒りの人、ねたみの人、愚痴の人すべてが、如是相でわかってしまうものである。
ともかく、信心している人の姿を見て、多くの人が入信を考えたり、決意したりする場合が多いことは、おわかりのとおりである。
その反対の場合もあるであろう。あるいは、理論的に入信する人もいるかもしれない。なんといっても重要なことは、その人の如是相にあるといってよい。
リーダーの確信、リーダーの包容力、それもまた如是相で、リーダーによって人々が安心したり、不安になったりする場合もあるにちがいない。
一人ひとりが福運に満ち、誠実さにあふれ、人々から信頼される如是相であっていただきたいと思う。