大宇宙には「リズム」がある。個々の生命のどんなリズムも、大宇宙のリズムと響き合っている。生きているということは、大宇宙と、我々の生命すなわち小宇宙とが、「共振」することではないか、と思う。
リズムという言葉を借りれば、大宇宙それ自体がリズムを奏でている。「生きとし生けるものを成長させよう、向上させよう」という慈悲のリズムです。
あるいは、慈悲の波長と言ったほうがいいかもしれない。生命は、この波長をキャッチできる受信機です。どこにいようと、仏界のチャンネルに合わせれば、自分も成長し、人をも成長させるという慈愛の曲に包まれていく。
あるいは音叉をイメージしていいかもしれない。同じ波長の二本の音叉があれば、一本を鳴らすと、離れたところのもう一本も自ずと鳴り出す。
慈愛という生命の音叉を鳴らせば、初めは一本でも、必ずどこかで、二本、三本と、同じ慈愛の音叉が鳴り出すのです。
波長はあるのです。だれかが最初に鳴らさなくては、また音叉は、寝かせて置いたままでは鳴らない。立たなくては。