妙法を信仰した者は法性の大地、仏界の大地の上を、「生」の時も、死の時も悠々と前進していく。大白牛車という壮麗な最高の車に乗って自在に進むのである。
「仏界の大地」とは、絶対に崩れない幸福境涯のことである。大地のごとく磐石に固めた自分自身の成仏の境涯である。
その境涯を固めたら、三世永遠に続く。だから今世で頑張りなさいというのである。
自分自身が法性の大地の上を、生も歓喜と前進する。これが生死生死と転ぐり行くなりである。
進むのは自身の大地の上である。他人の大地で進むわけにはいかない。
幸福は絶対に、自分自身で築くものである。人から与えられるものではない。人から与えられたものは崩れてしまう。親に頼ってもいつか親はいなくなる。夫に頼っても、いつか夫が先立つかわからない。
また、時代の変化で、いつどうなるかわからない。五十年前の戦争の前後にも無数の悲劇があった。本当の幸福は、自分自身の智慧、自分自身の福運、これが根本である。それを固めるための信心であり、自分自身が強くなるための学会活動である。それが「自身法性の大地を」と説かれた意義である。