思えば、古今東西、呉子・孫子、諸葛孔明、アレキサンダー、ナポレオン、さらに、現代の経営戦略等々、さまざまな兵法が探求されてきた。
しかし、一人の人間が宿命を転換し、永遠の幸福を勝ち取る兵法はなかった。
あらゆる民衆の連帯を築き、社会の安定と繁栄を勝ち開く兵法はなかった。
そして、「妙法」という大宇宙の根本法則に則り、人類の境涯を高め、平和と共生の未来へ、勝ち栄えさせゆく兵法はなかった。
そのために、大聖人が残し託してくださったのが、「法華経の兵法」なのです。
「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192ページ)との仰せのままに、あの不可能を可能にする「大阪の戦い」に臨む年頭、私が悩み抜き、祈り切って命に定めたことは、「法華経の兵法」を将軍学とすることでした。
つまり、一念に「億劫の辛労」を尽くす精進行の題目が、どれほど力を発揮するか。
御書根本に励まし合う絆から、どれほど「随縁真如の智慧」が湧き出ずるか。
難を恐れぬ朗らかな「柔和忍辱の心」で、どれほど変毒為薬していけるか。
不軽菩薩の如く「人を敬う」大誠実の振る舞いが、どれほど仏縁を広げるか。
関西の誓いの友と私は、何よりも「師子王の心」の勇気で、仏菩薩も諸天善神も、悪鬼魔民さえも揺り動かしながら、ついに“まさか”を実現したのです。