根本が「策」なのか「祈り」なのか。問題はそこです。
策略だけであれば、それ以上の策略には負ける。
また、永遠に不毛の修羅闘諍、低い次元での抗争と葛藤を繰り返すことでしょう。
人生の勝負も、広宣流布も「法華経に勝る兵法なしです」
断固、魔を打ち破っていく透徹した「祈り」。また「祈り」。
そのうえでの渾身の知恵、知略、行動、団結が必要なのです。
この人には今、何を与えれば、重い車が軽く回り始めるのか、どうすれば、流れに乗って船が進むのか、それをいつも考え、実行することである。
皆がやりやすいように、希望と喜びをもって前進していけるように心を砕くのが、仏法指導者の責任である。
戦う命には真実が映るものだ。
憶病の心は虚像に揺れる
悪と徹して戦うところに
知恵の眼が磨かれる。
健康は幸福の第一条件
自らの健康は自らが守ることだ
そのための祈りをそのための努力を
何事も結果を出し切るまで挑戦し抜くことだ。
責任感とはこの不屈の闘争心の異名でもある
一日一日を大切に丁寧に生きよう
自分を大切にとは今日一日を真剣に生き抜くことである。
自分中心の人はいつしか偽善と堕落、
なんのための根本的に徹しゆく人には大いなる境涯の拡大が!