池田先生ご指導

私たちが大御本尊に唱題・祈願するとき、祈りの強弱、宿命の浅深によって、その祈りと功徳の現れ方が四つの場合に分けられる。

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私たちが大御本尊に唱題・祈願するとき、祈りの強弱、宿命の浅深によって、その祈りと功徳の現れ方が四つの場合に分けられる。
「顕祈顕応」
顕応とは、顕らかな祈り、現実的・具体的な目的を意識した祈り、すなわち、なにか事があったときに、特に強い願いを込めて、大御本尊に祈っていくことであります。
たとえば、子供が病気になった。だから、きのうまで退転していたが、きょうからは、一生懸命拝もう(笑い)、これは顕祈です。
また「顕応」、あきらかに応ずるとは、その顕祈に応じて、即座に功徳が現れてくることであり、そういう一つの方程式、原理です。
「顕祈冥応」
明確な祈りに対して、知らず知らずのうちの功徳をうけていく。冥応は顕応に対する言葉で、これは真剣に唱題に励んだとき、現証は即座に現れないが、あたかも草木がしぜんに育つがごとく、潮の満つるがごとく、次第次第に祈りがかなってくることであります。
これは皆さん方も体験したことがあると思います。真剣に祈っているのにもかかわらず、功徳がすぐき出ない場合は、この「顕祈冥応」という原理によるのです。
「冥祈冥応」
冥祈とは、顕祈に対する言葉で、日々たんたんと水の流れるごとく、大御本尊に唱題を重ねていくとき、功徳は見えないが、やがてその人の願い通りの生活になっていくということをいうのであります。これも十年、十五年信心した人は、振り返ってみて、よくわかる方程式です。
「冥祈顕応」
日々に、たゆまず信心を貫くとき、その信心、冥祈によって、いざというときに厳然と功徳が現れてくることをいうのであります。たいした祈りもない信心であっても、水の流れるごとく純粋に励んでおれば、いざという場合に、厳然と守られる、驚くほど大功徳が涌現するということであります。