青年よ、ちっぽけな世の波騒を見おろしながら、大胆に生きよう。何ものも恐れず、壮快に動こう。堂々と真実を叫ぼう。
君が燃えなければ、時代を覆う生命の闇は燃やしつくせない。君が走らなければ、正義の炎は、人々のいのちに届かない。君自身が、一個の「炎の走者」と立ち、動き、祈り、語り始めること、そこに「3・16」の本義があるのだ。
諸君の力走の果てに、民衆の「栄光」と「勝利」の山脈が、都市が姿を現す時――その時こそ、わが「永遠の3・16」の儀式は、諸君の胸中に鮮やかに蘇り、新しき不滅の光を放ち始めるだろう。
その時、私と諸君との真の絆が固まる。
その日を私は祈りて待つ。信じて待つ。ひとり戦いながら待つ。
弟子が自分中心の「小願」にとどまっている限り、師匠と不二にはならない。小さく、狭い自分で終わってしまう。
「大願」とは、師匠と同じ誓願にたつことだ。法華経の行者である師匠と、心を合わせて行動することだ。
その時、露を大海に注ぎ、塵を大地に埋めるように、計り知れない雄大な境涯が開かれていくのだ。
私は戸田先生と同じ心で、「一閻浮提広宣流布の大願」に立った! そして、勝って勝って、勝ちまくってきた!
一年また一年、「3・16」に、新たな勝利と出発の節を刻み、ここに五十星霜の大絵巻が綴られたのだ。