池田先生ご指導

「信心」とは、いわばこの「冥の照覧」を信じ切ることと言えるでしょう。 私も、それを信じて、人の知らないところで戦ってきました。

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信心は他人に「どう見えるか」ではない。自分自身が「どうあるか」「どう行動したか」である。目には見えない「一念」と「行動」が、長い間には必ず目に見える結果となって現れてくる。長い目で見れば、その人の真実は、自然のうちに明らかになっていく。裏表のない人が最後に勝っていく。
例えば、電波は目には見えないが、火星や金星にまでも、つながっていく。生命の一念も、凡夫の目には見えないが「一念三千」の法則によって、諸天・諸仏をも動かし、厳然たる「実証」となって現れる。

「信心」とは、いわばこの「冥の照覧」を信じ切ることと言えるでしょう。
私も、それを信じて、人の知らないところで戦ってきました。
「確固たる信心」の人は必ず「確固たる幸福」の人生を開いていく。このことを確信してください。


他の世界では要領が通用したとしても、仏法の世界では陰の労苦、目に見えない一念がそのまま結果となって現れる。ゆえに、誰が見ていようと、いまいと、勇んで行動することである。


優れているものを、ありのままに認め、尊敬すれば、自分もパッと開けるのだが…
エネルギ-を無駄に使うことなく「勝利」という一点に集中しきっていく。


 

  1. アバター画像 山本正治 より:

    実に困難ですが信心根本にやることが第一ですね頑張って行きますありがとうございました

  2. アバター画像 戸田県の壮年部 より:

    今年11月29日に重大な間違いをしてしまいました。自分自身、深い海の底まで落ちた気持ちになりました。今まで常にこの冥の照覧の指導を心してやって来ました。私は立ち上がります!これからも冥の照覧を信じて‼️