教学を学ぶ際に、〝ホシ″を外してはならない。
戸田先生は、要点を忘れて枝葉の論議に走る教学を戒められ、四条金吾を例にあげて、こう語られた。
「きちっとした教学をしっかりと身につけていきなさい。
中務三郎左衛門尉が一人であったか、二人であったかなどということは、戸田には何の関係もない。
私の教学は、四条金吾がどのように信心をしていたか、大聖人が信心について、どのように教えられ戦われたか、という戦う教学だよ」
先生の教学は、どこまでも「実戦の教学」であった。「師弟の教学」であり、「広宣流布の教学」であった。