池田先生ご指導

会員の「困った」に対し、具体的に手を打てるかどうか。ここに、幹部としての存在意義が問われてしまう。

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会員の「困った」に対し、具体的に手を打てるかどうか。ここに、幹部としての存在意義が問われてしまう。心から納得できる手をうつか、それとも見捨て、排除するか。近年の、教義変更・安保法制・会憲制定に対する疑問の声にどのように対処しているか。また、この指導に照らし、どのように対処することがふさわしいのかを、よくよく考えるべきである。


ご自身の悟達後の境涯について戸田先生は、ある人に、こうも語っておられた。
「広いところで、大の字に寝そべって、大空を見ているようなものだ。そして、ほしいものがあれば、すぐに出てくる。人にあげてもあげても出てくるんだ。尽きることがない。君たちも、こういう境涯になれ。なりたかったら、法華経のため、広宣流布のため、ちょっぴり牢屋に入ってみろ」
そして「今は時代が違うから牢屋に入らなくてもいいが、広布のために骨身を惜しまず戦うことだ」と。