61年前の9月8日、第2代会長の戸田先生が横浜・三ツ沢の競技場で「原水爆禁止宣言」を発表し、人間の生存の権利を奪う核兵器を「絶対悪」と指弾。この思想を全世界に広めることを“遺訓の第一”として青年たちに託した▼その場にいた長崎の壮年部員に話を聞いた。壮年は疎開先の長崎で被爆し、両親と弟妹は広島で被爆した。“あの日”の記憶は言葉にならず、自らの中に封印していた。だからこそ、戸田先生の宣言に衝撃を受け、仏法者が果たすべき社会的使命の大きさに目の覚める思いがした▼宣言を聞いた当時は、長崎市内の小学校に勤務する新米教師。被爆による病気や後遺症に苦しむ人は身近に多かったが、教育現場では“平和学習”など行われていない。誰もが貧しく、日々を生きるのに精いっぱいだった▼長崎に戻り、宣言の要旨をガリ版に刷って友人らに配った。被爆証言集の発刊や核廃絶署名にも率先して取り組んできた。「社会に打って出なければ、誰も救えない。核兵器に人生を狂わされ、学会に救われた私の実感です」と▼池田先生は「平和は決して与えられるものではない」「戦い勝ち取るものだ」とつづった。対話の力で核廃絶への民衆の連帯を広げ、断じて核時代に終止符を、と改めて誓う。(知)