御書解説

〈9月度 男子部「御書活動者会」研さんのために〉富木殿御書 2018年8月25日 「今」を真剣に生きよう! 労苦をいとわず広布へ

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「今」を真剣に生きよう!
労苦をいとわず広布へ
関之尾滝へと至る庄内川の流れは清らかに(宮崎県都城市)。日々の前進によって広布の水かさは増す。

 9月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「富木殿御書」を研さん。日蓮仏法の師弟の根幹である、弟子の姿勢について学ぶ。

御文

 我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ(御書970ページ)

通解

 わが一門の者は夜は眠りを断ち、昼は暇なくこのことを思案しなさい。一生空しく過ごして万歳に悔いることがあってはならない。

背景と大意

 本抄は、日蓮大聖人が下総国(現在の千葉県北部などの地域)の門下の中心として活躍した富木常忍に送られた御書である。建治元年(1275年)の御執筆とされてきたが、現在は建治3年(1277年)と考えられている。
当時、“法華経は大日経に比べると戯論である”という真言密教が、人々から最も権威ある教えとされ、信じ崇められていた。
そうした背景の中で執筆されたのが本抄である。
大聖人は本抄の冒頭、法華経や涅槃経などの経論を引かれながら、謗法の罪は大きいこと、悪知識を恐れるべきことを強調されている。
続いて日本国の人々を謗法の大罪に陥れた元凶であり、最も恐れるべき悪知識として、弘法・慈覚・智証を挙げている。そして、“数多くの先徳たちがこの三人を疑っていないのに、どうしてあなたは謗法と非難するのか”との問いを立て、弟子たちに真言密教の邪義と法華経の正義を峻別するよう勧められている。

解説

 本抄は、別名「止暇断眠御書」と呼ばれる。
止暇断眠は「暇を止め、眠りを断つ」と読み下す。拝読御文は、大聖人がまさに止暇断眠について言及された箇所である。
ここで大聖人は、全ての弟子に対し、寸暇を惜しんで精進し、悔いない一生を送るように教えられている。では、「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ」と述べられた、常に思案すべき「之」とはいったい何か。
真言密教は、中国や日本で「法華経最第一」の義が確立された後に伝来したため、天台・伝教の破折を免れ、大きく広まった。
大聖人は、謗法を広めた悪知識の存在に言及し、特にその根源として、弘法・慈覚・智証を挙げている。
中でも、日本天台宗の座主として、本来なら、正法を護持し、弘通して、民衆を幸福に導くべき立場にもかかわらず、真言密教に染まってしまったのが、慈覚・智証である。
慈覚は、真言密教の主張に同調して「理同事勝」(大日経には、法華経の一念三千と同様の「理」があるが、印と真言という「事」を説く大日経は法華経に勝れている)との邪義を唱えた。
智証もまた、天台宗の密教化を推進した。
二人は当時、皆の尊敬を集めていたが、その姿はまさに、師敵対の弟子だった。
大聖人が、別の御書で「慈覚・智証の二人は言は伝教大師の御弟子とは・なのらせ給ども心は御弟子にあらず」(308ページ)と厳しく破折されている通りである。
「之」とは、こうした悪知識の僧たちの正体のことなのである。
一方、大聖人は、釈尊、天台、伝教という法華経の行者の系譜を踏まえ、正法が滅びるのを惜しまれ、不惜身命の大闘争を貫かれた。
拝読御文は、“この峻厳な事実をよく見つめ、どこまでも正義の心を受け継げ!”との、弟子たちへの師子吼であったとも拝される。
拝読御文について、池田先生は次のように述べている。
「『今』を真剣に生きるのです。ただ『身』を惜しむだけで何も行動しなければ、何も残せません。法を惜しんで、労苦をいとわず、広宣流布に邁進することです。1回限りの今世の人生を、広布に捧げることが『万歳悔ゆること勿れ』となるのです」
根本の使命を忘れ去って、目先のことに流されて漫然と生きるのではなく、どこまでも広布への情熱を赤々と燃やしながら、今を真剣に生きていくこと。それが、弟子としての悔いない人生につながっていくのである。
いよいよ下半期がスタートした。
今一度、目の前の課題や目標を明確にしながら、一日一日を真剣勝負で生き抜いていこう。そして広宣流布大誓堂完成5周年の「11・18」を、広布と人生の勝利で荘厳していきたい。