御書解説

〈教学〉8月度座談会拝読御書 松野殿後家尼御前御返事 2018年8月7日

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御書全集 1393ページ12行目~14行目
編年体御書 1178ページ18行目~1179ページ2行目
一人一人が使命ある尊い存在
弟子の真心を何よりも大事にされた大聖人
本抄について

 本抄は、弘安2年(1279年)3月26日、日蓮大聖人が身延から駿河国(静岡県)の門下である松野殿の夫人に送られたお手紙です。
題号に「後家尼御前」とあるように、この女性門下は、夫に先立たれた方です。本抄を頂いた人が、南条時光の母方の祖父に当たる松野六郎左衛門入道の夫人なのか、あるいは、その入道より先に亡くなった子息の夫人なのか、はっきりと分かっていません。
当時は天災が続き、人々は飢饉や疫病に苦しんでいました。大聖人は、前年(弘安元年=1278年)閏10月のお手紙で、「去年から今年にかけて大疫病がこの国に流行して、人の死ぬことは大風で木が倒れ、大雪で草が折られるようなもので、一人も生き残れるとは思えなかった。(中略)8月、9月の大雨や大風で、日本国全体が不作となり、残った万民は冬を過ごし難い」(御書1552ページ、通解)と、その惨状をつづられています。
身延での大聖人の御生活も困窮を極め、本抄からも「衣は身を隠すに足りず、食は命を支えるほどもない」(同1393ページ、通解)と逼迫した様子がうかがえます。こうした中にある大聖人に真心からの御供養をした尼御前に対し、返礼として認められたのが本抄です。

拝読御文

 未だ見参にも入らず候人のかやうに度度・御をとづれの・はんべるは・いかなる事にや・あやしくこそ候へ、法華経の第四の巻には釈迦仏・凡夫の身にいりかはらせ給いて法華経の行者をば供養すべきよしを説かれて候、釈迦仏の御身に入らせ給い候か又過去の善根のもよをしか

心こそ大切に候へ

 本抄の内容から、松野殿後家尼御前はこれまで一度も日蓮大聖人とお会いしていないにもかかわらず、大聖人に御供養の品を度々、お届けしてきたことが分かります。大聖人が門下のそうした尊い真心を何よりも大切にされたエピソードは枚挙に暇がありません。
大聖人が佐渡流罪中に出会った門下に、阿仏房・千日尼の夫妻がいました。阿仏房は、大聖人の身延入山後、千日尼から託された御供養の品々を持って、何度も師匠を訪ねています。
例えば、弘安元年(1278年)閏10月、大聖人は御供養への返礼として千日尼に送られたお手紙の中で、次のように仰せです。
「御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり」(御書1316ページ)。“あなた(千日尼)の身は佐渡にあっても、心は私(大聖人)のところに来ていますよ”との趣旨です。
さらに大聖人は、「御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」(お会いしたからといってどうなりましょう。心こそ大切です=同ページ、通解)と、大きな慈愛で千日尼を包み込まれました。
千日尼の真心は、毎年のように夫を大聖人のもとへ送り出すという行動として表れました。そこには、変わることなく師匠を求めていく心がありました。
門下一人一人の心を深くご覧になり、真心に真心で応えられたのが、生涯を通して変わることのない大聖人のお振る舞いだったのです。
弟子の立場から見れば、師匠を支え、求める姿勢を貫いていくことが、求道の心の表れであり、そこに仏法の根幹ともいうべき師弟の精神があるといえるでしょう。

諸仏の“入其身”

 拝読御文に「釈迦仏の御身に入らせ給い候か」とあります。これは、「善」の「入其身」であり、松野殿後家尼御前の供養が日蓮大聖人を支える善の働きをしていることを指しています。
法華経勧持品第13には「悪」の「入其身」である「悪鬼入其身」が説かれています。「悪鬼は其の身に入って」と読みますが、これは「悪鬼」が、さまざまな衆生の身に入り、正法を護持する者をそしり、辱め、仏道の実践を妨害することをいいます。
「悪鬼」とは、誤った宗教・思想に当たり、また人の苦悩の因となって、精神を乱す源のことです。
大聖人は例えば、第六天の魔王が法華経の行者を迫害しようとして、智者や権力者の身に入ると述べられています。
この反対の「善」の「入其身」について、大聖人は、「釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(御書1451ページ)とも指南されています。
「釈迦仏・多宝仏・十方の仏たちよ! 集い来って、わが身に入りかわり、私を助け給え」と祈っていくよう、門下に教えられた言葉です。
「釈迦・多宝・十方の仏」、すなわち諸仏が「入其身」すれば、仏の所従(=家来)である諸菩薩・諸天等が従い、法華経の行者を守護することは間違いありません。
強盛な信心は、一切を善の働きへと変えていきます。信心を奮い起こして広布に前進する中で、仏をはじめ菩薩・諸天善神など、あらゆる善の働きを呼び起こしていくことができるのです。

師弟の宿縁

 仏法の説く“三世の生命観”に照らせば、日蓮大聖人の門下一人一人が大聖人との師弟の絆を結んだのは、過去世からの宿縁によるものにほかなりません。
拝読御文に「過去に積まれた善根があらわれてのことでしょうか」(通解)とあります。「善根」とは、過去世から生命に積んできた、功徳の因となる善の行為を意味します。
私たちが正法に巡り合うことができたのも、決して偶然によるものではありません。過去世から仏法との縁(宿縁)があり、生命に刻まれてきた善根があるからです。
例えば大聖人は、佐渡の地で門下となった最蓮房に対して、「過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか」(御書1338ページ)と仰せになり、法華経化城喩品第7の「在在諸仏土 常与師俱生(在在の諸仏の土に 常に師と俱に生ず)」(法華経317ページ)の文を引いて、師弟について教えられています。
この経文は、師と弟子が常に同じ仏国土に生まれ、共に仏法を行じていくことを説いたものです。
また、安房の門下には、「かかる者(=大聖人)の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(御書903ページ)と仰せです。
希有の仏法と師匠に出合うことのできた喜びを胸に、自らの尊い広布の使命を果たしていきましょう。

池田先生の指針から 師匠を支えた、けなげな女性門下

 後家尼御前は、まだ大聖人に直接お会いしたことがないこと。しかし、幾度も御供養を重ね、大聖人をお護りした健気な女性門下であったことが推察されます。
当時の時代背景を確認すれば、大雨・大風・大雪などの天災が続き、深刻な飢饉や疫病の大流行で多くの人が亡くなり、不安な世情です。また、蒙古の再襲来が予想され、混迷の度がますます深まっています。加えて、大聖人一門にとっては、駿河国では熱原の法難が始まっており、緊迫した状況が続いています。
そうしたなかで、仏法をひたむきに求める一人の女性に、大聖人は、「法」と「人」の両面から、大確信を与えられます。
まず「法」の次元では、南無妙法蓮華経こそが万人成仏の根源の法であること。そして「人」の次元では、あらゆる迫害を乗り越え妙法弘通を貫かれてきた大聖人こそが法華経の行者であることを教えられます。そして、この女性門下が今、信心をしていることは、決して偶然でなく、深い使命をもって生まれてきたことを示されています。
いわば、大聖人御自身の「戦いの歴史」と「御確信」、そして門下の「使命」を教えられている御書です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第19巻)
◇ ◆ ◇
まず大聖人は、衣服も不足がちで食にも困窮している現状を紹介して、いかに、門下の御供養が大聖人を支えているか、深く感謝されています。
しかも、たびたび御供養をしている尼御前は、一度も大聖人と直接お会いしたことのない門下です。
尼御前に限らず、今日、御書に残っていない、そうした門下も数多くいたことと思います。不惜の信仰を貫き通した熱原の三烈士もそうでしょう。信心は距離ではありません。大切なのは「心」です。
大聖人は、尼御前の誠実な心を深く御覧になったのです。法華経法師品第十に触れて、“まことに不思議なことです。釈迦仏があなたの身に入られたのか。あるいは過去世の善根があらわれてのことでしょうか”と仰せです。牧口先生も、御書の中でこの一節に強く線を引かれています。(同)

参考文献

 〇…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第19巻(聖教新聞社)