眠りは一種の「小さな死」です。大宇宙の生命の海にいったん心身を浸す作業です。その休息によって生命力が充電され次の日へ新しい活力を得る。同じように死も生命力の充電です。宇宙生命の「蘇生の海」に帰って、さっぱりとして、新しい元気な体になった方が良い場合がある。
命はいつだって変えられる。どんなに苦しい現実が続こうとも。泣きたくなるような悲しみがあろうとも。必ず「絶対に大丈夫だ」という確信が生命の大地から噴火する瞬間が来る。燃え上がるような希望が。
題目は火です。煩悩(悩み)の薪を燃やして、菩提すなわち幸福の火が赤々と燃えあがる。悩みが即幸福の原料になる。信心なき人にとっては、苦悩は苦悩のための苦悩かもしれない。しかし、信心強き人には、悩みは「もっと幸福になる」ための悩みです。
その瞬間には有名も役に立たない。お金も役に立たない。知識も役に立たない。地位も役に立たない。友人も家族も助けることはできない。自分自身の「真実」に一人向き合うことになる。厳粛です。しかも、その死の瞬間の自分自身が、その後も、ずっと続くのです。
二人の兄弟も「こんなに信心しているのにどうして!」と思ったかもしれない。しかしそれは感傷です。「こんなにやっているのに」等と後向きになっていればその一念のせいで結果が出ないのです。信心は感傷ではない。信心は勇気です。幸福になるには勇気が必要なのです。
祈った分だけ、動いた分だけ、語った分だけ、御本尊から功徳が頂ける。思う存分に広布に働いて、無量無辺の功徳を受け切っていってほしい。必ず受けられる。 私が証人である。戦ってきたゆえに、私は、確信をもって言い切ることができる。