題目は火です。煩悩(悩み)の薪を燃やして、菩提すなわち幸福の火が赤々と燃えあがる。悩みが即幸福の原料になる。信心なき人にとっては、苦悩は苦悩のための苦悩かもしれない。しかし、信心強き人には、悩みは「もっと幸福になる」ための悩みです。
長い間、不幸になれた人には諦めが身についてしまっている場合がある。しかし妙法だけはあきらめる必要のない法です。自分なんかと卑下するのは、自分の仏界への冒涜であり、ひいては御本尊への冒涜に通じる。この悩みだけはどうにもならないと決めつけるのも同様です。
信心は「心」です。形式ではない。時間の長さでもない。法を求める「心」に「功徳」はある。 例えば、忙しくて、なかなか活動できない。しかし、三十分でも会合に出よう。週に半日でも活動しよう —その「心」に大いなる功徳がある。
人生最期に頼りになるのは、ただひとつ、生きている間に「鍛え抜いた生命」だけです。だから一番大事なのは「強い生命」になることです。「慈愛に溢れた自分自身」になることです。 つまり「人間革命」することです。 人間革命することが人生で一番大事なことなのです。
過去の宿業が大きな悩みとして現れてくる場合もある。しかし苦悩の因が「自分の中に」あるのと同じく、それを幸福へと転換しゆく力も「自分の中に」ある。これが仏界の力である。結局人間とは「自分の中にあるものが出てきた」ものである。 それ以上でも以下でもない。