〈世界に魂を 心に翼を 民音が開いた文化の地平〉

〈世界に魂を 心に翼を 民音が開いた文化の地平〉第6回 人間に歌あり㊥ 2018年7月30日 人類の勇気と尊厳を学べ

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人類の勇気と尊厳を学べ
エフロニ合唱団の創立者マヤ・シャヴィット氏との語らいは、歌の力や音楽教育を巡って(1995年7月14日、聖教新聞本社で)

 この夏、民音の招聘で来日し、躍動のステージを繰り広げているニューヨーク市ヤングピープルズ・コーラス(YPC)。
2009年、10年に続いて3度目となる今公演には、1700人から35人を選抜。約1カ月間、17会場に及ぶロングツアーである。メンバーの選考には1年をかけた。
YPC最大の特徴が多様性だ。8歳から18歳の団員は、人種も民族も境遇も異なる。
家庭環境に恵まれず、不遇を嘆いていた若者が、“歌”という自己表現を通して自信を深める。そうした体験を互いに共有する中で、個々の可能性を広げ、やがて壮大なハーモニーが織り成されていく――。
それがYPCの創立者フランシスコ・J・ヌニェス氏の持論であり、自らの人生で得た実感だった。
創立30年を迎え、数々の実績を持つYPCだが、かつては心ない偏見にさらされたこともある。
欧州で開かれた合唱コンクール。伝統ある合唱団が並んだ。
経済的なゆとりがなく、服装も質素ではあったが、YPCの合唱は群を抜いていた。美しく、力強い歌声が会場を圧倒した。
審査員の一人が、そっとヌニェス氏に告げた。
「君たちが1位だ。誇りに思うよ。何か一曲、表彰式で歌う準備をしておいてくれ」
もとより、ヌニェス氏は順位や賞には固執しない。だがメンバーのひたむきな努力が認められたことは、素直にうれしかった。
しかし結果は、2位。
理由を問いただすと、「『なぜ黒人がいる団体を1位にするんだ』と声が上がり、収拾がつかなくなった。状況を鎮めるには、こうするしかなかった」。
それから20年余りがたつ。いつも笑みを絶やさないヌニェス氏が、真剣な面持ちで言った。
「子どもたちの可能性は皆、平等です。その意味で、私はYPCを人種差別と戦うために創った――そう言っても過言ではありません」
◇ ◆ ◇
“怒濤のハーモニー”で知られるブルガリア国立男声合唱団を皮切りに、民音は、30を超える合唱団の来日公演を実現してきた。
欧州をはじめ、北南米、アジア、アフリカ……。いずれの合唱団も国際的なコンテストで好成績を収め、その実力は折り紙付き。ファンの中には、新幹線や飛行機を乗り継いで公演に駆け付ける人もいる。
民音創立者の池田先生は、アーティストの来日を聞くたびに感謝の伝言を寄せ、公演を陰で支える役員にも心を尽くす。
ある時、招聘に携わるスタッフに語っている。
「いつも本当にありがとう。でも“素晴らしい公演だった”で終わってはいけない。歌や音楽から“人間の魂”を学ぶんだ」
音楽に込められたメッセージ。
そして音楽を奏でる人々や団体が持つ歴史や精神――。
その一つ一つを最大に尊重することが、文化交流に取り組む者の姿勢であると訴えた。
◇ ◆ ◇
1994年、中東和平を開いた功績をたたえて、イスラエルのラビン首相、パレスチナ解放機構のアラファト議長、ペレス氏がノーベル平和賞を受賞した。
ノルウェーでの授賞式。可憐な歌声で花を添えたのが、イスラエルのエフロニ合唱団である。
歌った曲は「ペイント・ボックス(絵の具箱)」。
――私の絵の具箱には、いろいろな色がある。でも、けがや血を描くための「赤」はない。みなしごを描くための「黒」もない。死んだ人の顔を描くための「白」もない。あるのは、生きる喜びや命の尊さ、自然の豊かさを描く色だけだ。だから私は「平和」を描く。
凜と響くコーラスには、平和を継ぎゆく心があふれていた。
翌95年7月、民音の招聘により、エフロニ合唱団初となる来日公演がスタート。池田先生は、同団を信濃町の聖教新聞本社に歓迎した。
日本各地で23回の長期ツアーである。来日前から“暑い季節だが体調は大丈夫か”“日程に無理はないか”など、団員の健康を気遣った。
エフロニ合唱団の創立者であり、指揮者のマヤ・シャヴィット氏は、同国の合唱指導の草分けである。
先生が氏に「指揮者の使命」を尋ねると、“それは「曲の心」を伝えることです。生きていれば作曲者に聞けますが、亡くなっていれば聞けません。ですから、楽譜にある心を忠実に読み取ることです”と。
さらに氏は言葉を継いだ。
“「声」は「最も個人的な楽器」だと思います。子どもたちは誰もが歌えるし、歌うべきです。彼らにチャンスを与えるべきです”
◇ ◆ ◇
「貴国の建国の時も、歌がありました」
1948年5月のイスラエル建国宣言。直後、誰からともなく歌声が湧き起こった。
歌の名は「希望」を意味する「ハティクバ」。この時からイスラエル国歌として愛唱されている。
先生がシャヴィット氏に語った。
「ホロコーストという『人類史上最大の悲劇』にあって、多くのユダヤの人々が人間の尊厳と誇りを貫きました。その気高き魂を支えた一つが『歌』でありました」
収容所からガス室に連行され、この「ハティクバ」を共に歌い、最期を迎えた人々もいた。(シルリ・ギルバート著『ホロコーストの音楽』二階宗人訳、みすず書房)
「この勇気。この達観。ユダヤの歴史には偉大な『勇気の歌声』がちりばめられています」と先生は述べ、歌の力を広げ、人間の尊さを伝える同合唱団に敬意を表した。
折しも戦後50年。ホロコーストの悲劇を伝える「勇気の証言――アンネ・フランクとホロコースト」展が各地で開催されていた。
シャヴィット氏は、被爆地である広島と長崎への訪問を強く希望していた。公演の合間を縫い、エフロニ合唱団は長崎での同展に出席。オープニングで歌声を披露している。
展示パネルを一目見るや、少女たちの頰を涙が伝った。肩を震わせて抱き合う団員もいた。その姿に、来場者は胸を詰まらせた。
当時の団員が母となり、その子どもたちがエフロニ合唱団へ。平和の志が受け継がれている。
◇ ◆ ◇
YPCのヌニェス氏は述懐する。
「世界の指導者の前で歌ったこともありました。ですが民音のステージは、それよりも、もっと大切で、貴重な経験であると感じます」
来日公演の出演者は、日を経るごとに自信をつけ、見違えるような成長を遂げるという。前回のツアー後に大学進学を目指した団員は、全員が民音公演での経験を願書に記し、合格を果たした。
貧しい家庭の出身者もいる。社会から期待されず、教育の機会を奪われてきた子もいる。そうした一人一人が、YPCを笑顔で巣立っていく姿がヌニェス氏の最高の喜びだ。
氏の言葉は、民音のステージに立つ人の思いを象徴している。
「私は民音の聴衆の皆さまに感謝を捧げたい。この子どもたちを信頼してくれたことに。そして、音楽の力を信じてくれたことに」