聖教新聞ななめ読み

魔の習性というものについて平易に示されています。一言でいえば、魔とは、より不幸に向かう行為を歓迎し、より幸福に向かう行為をきらう、ということになるでしょう。

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魔の習性というものについて平易に示されています。一言でいえば、魔とは、より不幸に向かう行為を歓迎し、より幸福に向かう行為をきらう、ということになるでしょう。
したがって最高の幸福境涯といえる仏界を開き顕そうとする行為(仏道修行)を、魔はもっともきらい、これに励む者を、さまざまなまぎらわしい形で妨害するのです。
ともかく、悦ぶにせよ、なげくにせよ、魔は私たちの行為につきまとっていることを忘れてはならないでしょう。少しでもスキがあれば、魔は喜び、そこにつけ込んで成長と幸福をとめようとねらっているのです。魔のこわさは、それと見破れないところにあります。
すべての人びとの胸中に眠っている仏界は、その覚醒の時を待っているのです。