日蓮仏法の「一念三千」の法理は、一念の偉大な転換が三千諸法の転換を可能にすることを教えている。一念が変われば、自分が変わる。自分が変われば、環境が変わり、世界が変わる。この大変革の根源をたずねれば、御本尊に向かう自分自身の「祈り」の革命的深化にほかならない。祈りは、いわゆる「おすがり信仰」とは全く違うのだ。弱々しく、漠然と、誰かにお願いするものではないのだ。
祈りとは本来、「誓願」である。「必ずこうする」という誓いであり、明確な目標に挑み立つ宣言である。であるならば、自身の「人間革命」と、世界平和をめざしゆく「広宣流布」の誓願に勝るものがあろうか!自身の苦悩と戦いながら、友の幸福を祈り、創価の勝利を祈る。組織の活動の目標があれば、その達成を祈る。
「三類の強敵」との攻防戦では、正義なればこそ断じて勝つと、猛然と祈る。そして、勇んで打って出るのだ。この「誓願の祈り」「戦う勤行」を貫いてきたからこそ、学会は邪悪をすべて打ち破り、ありとあらゆる法戦に、一切勝ってきたのである。だから学会員には、無量の智慧と力がわき、勝利、また勝利の功徳が満ちあふれるのだ!
「祈る人間には退却というものはない」とは、マハトマ・ガンジーが叫んだ有名な言葉である。伝統の二月を、わが同志は意気高く走り始めた。思えば、あの広宣流布の突破口を開いた「二月闘争」を勝利した根源の力も、「絶対に勝つ!」と決めた真剣なる祈りであった。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(同一一九二ページ)今再び、我々は、この御聖訓を深く拝して、勝利と栄光と所願満足のために、立ち上がるのだ!
前進だ! 前進だ! 白馬が駆けるが如く、堂々と、生気はつらつたる勤行を原動力としながら、異体同心で戦おうではないか!! 今日も、明日も、そして、この一年も、 戦い勝っていくのだ。戦いゆく人は幸福だ。勝利する人もまた幸福だ。これが人生である。かつて私は、戸田先生に、自身の誓いを込めて、一句を贈った。