大聖人は、あらゆる御書のなかで、信心が根本であり、信心を強くすることが大切であることを、繰り返し指導されている。
信・行・学のなかでも、信が全ての要であり、成仏の本源なのである。信こそ仏法へ入る唯一の道であり、更に仏法の本義からいえば、御本尊への信は、それ自体が仏界の生命を意味するのである。すなわち、仏法は衆生を成仏させること、仏界の生命を涌現させることを究極の目的とするのであるから、御本尊を信ずることは、仏法の出発点であるとともに、最終ゴールでもある。そこで大事なことは、この信ずる心をより深めること、これを生涯、持続することである。
御本尊を信ずるところに、すでに仏界の涌現があり、その人は成仏の境地に入っているということを即身成仏という。そして、これを生涯、持続し、深めていくことを一生成仏というのである。即身成仏が、いわば内証の悟りであるのに対し、一生成仏は、実践論的な見地からの概念といえる。
即身成仏なのだからといって、一度、御本尊を信じて、題目を唱えれば、それで成仏という目的は達した、ということにはならない。やめてしまえば、信心の心も消え、いったんは仏界へ入りながら、たちまち九界に戻り、六道におちこむのである。
そこで、この信心の心を持続させ、深めるために、行学の実践が重要となってくる。