師匠とは、有縁の弟子を三世にわたって化導していくのです。弟子は師匠を求め抜き、師匠は弟子を守り導く。仏法の師弟とは、最高に麗しき「人間の絆」といえるでしょう。これは、弟子の側から見れば、単に「師匠と共にいた」という次元の話ではありません。師と共に菩薩行をしてきたという「共戦」の目覚めです。“師匠によって救われる存在”から“師匠と同じ側に立って民衆を救う存在”へと、自身の本源の生き方を確立していく。それは、菩薩の誓願に徹することにほかならないのです。
過去世から師匠との縁があり、末法という悪世において妙法を弘めることを誓うという、あえて苦労を買って出て生まれてきたのが私たちです。誓願の人生とは、今世はもとより、未来世にわたって続くということなのだと思います。
その上で先生は、ただ単に「師と共に存在する」だけではなくて、「師と共に菩薩行をする」という、偉大なる使命を教えてくださっています。これは日蓮仏法の師弟の魂が、初代会長・牧口常三郎先生から、第2代会長・戸田城聖先生へ、そして池田先生へと脈々と受け継がれてきた師弟のドラマが教えています。
師弟とは、弟子の自覚で決まります。師弟は物理的距離ではありません。これは中南米の皆さまこそが身をもって実感されていることではないでしょうか。直接、お会いしたことがなかったとしても、弟子が自覚し使命の道を歩めば、立派な師弟関係で、師弟不二にほかならないのです。