たとえ両親が信心していなくても、両親を信心させたいという愛情と責任が、いよいよ自身の信心の励みとなって、成長の糧となる場合もあるのだ。そのような青年を私は数多く知っている。
「功徳は少しうけた」という返事には、私は即座に「その少しが大切なのである」と語った。
すなわち、幸福は小さなところに感ずる。身近なところにある。
遠いところにあるのでもなく、大きなもののなかにあるのでもない。
たとえば、風邪が治れば大きな幸せを感じる。
また、子供の成績が上がれば、親は心から喜び、それを功徳と感じる。
腹痛が治れば、ほんとうに幸せを感ずる。
やせたい人が少しやせれば、うれしく幸せに思い、太りたい人が太れば、喜びを感ずる。
熱があって風呂に入れなかった人が熱が下がり風呂に入れば、ほんとうに幸せだと感ずる。
このように、すべて幸福、功徳を感ずることはささいなことから始まるといってよい。
この小さな幸福感と功徳の体験のつみかさねが、一生の幸福の基盤となっていくのである。
このように身近に起こるさまざまな苦悩を、御本尊に唱題しながら、一つひとつ乗り越えて、そこに満足をおぼえていくところに、人間革命がある。
また、福徳を永遠につんでいける信心の証がある。
これこそ、広宣流布への第一歩となっていることを自覚されたい。
自分は
頭の中で思ってもない
ことを思い浮かんでしまいます
それも魔だと思い力強い
題目をあげて頑張っています
題目をあげて魔が出ないように頑張って行きます
自分の一念が変われば
周りも変わる
自分も変わると信じて
頑張って行きます
何があっても題目をあげて
魔と戦い続けていれば
良い結果が出ると信じています
こないだ
ヘルペスのような物が
出来て
病院に行かないと直らない
と思っていたら
題目をあげて寝たら
次の日直ってました
それも功徳だと思います