どうあろうとも、いちおう宿命はきまっている。しかし、そのためには、絶対に御本尊様から離れないことである。
なぜか。それは、一人ひとりの生命のなかには、御本尊様がおられる。しかし、固い鉄の扉のなかに深く閉ざされている。信じても信じなくても、御本尊様ははいっている。
いっさいの宇宙の万法は、変化しないものはない。机であっても、花びんでも、金物でも、これらの分子、原子が、みな変化している。無量義経に一法より万法を生ずとあるが、たった一つの法から、あらゆる法が生じているのである。無量義経では妙法蓮華経とはいえぬ。妙法蓮華経へきて、いっさいを動かすものが、南無妙法蓮華経の当体にあると、日蓮大聖人様はお説きなされた。その動かす力が、われわれの生命にある。それを開くのである。
開くということは、あなた方にはわからぬと思うが、かりにビタミンBが不足したときは、注射をすれば、うつまえと、うってからとでは違う。われわれの生命を動かすものが、信心である。ゆえに御本尊様を拝めば、宿命を転換することができる。
宿命は、それぞれみな違ったものえおもっている。しかし、こうなりたい、ああなりたいと思う方向へいけるのが妙法なのであります。
信心によって、自分のいきたい方向へ十分いけるのです。