「福運がなければ不幸です。 福運を積む源泉は、題目をあげる以外に絶対にありません」
「確信で生きるのです。
就職にしても、“受かるかな、受からないかな…”。そんなことはない。受かるのです。
病気にしても、“御本尊を受持している福運ある自分だ。絶対に治る。治るに決まっている!”。この一念で因果倶時になるのです。それが福運を積むのです。また、積んだことになるのです」
「広布のために動いたことが全部、自分の功徳になると決心することです。また、事実、そうなるのです。それが一念随喜です」
功徳に“なる”“ならない”はこちらの一念に左右される、「喜びから出発するか、義務から出発するかによって、結果は違ってくるのです」
学会に入ってる人間がしっかり信心してないのを、信心頑張れるようにみちびいだとしたら導いた人には功徳がありますか?