「広宣流布」こそが法華経の魂であり、「南無妙法蓮華経」という大生命のリズムなのです。人類の境涯を仏界にまで引き上げる戦いです。
とどめようと思っても、時は止まらない。冬は必ず春となる。人類も必ず、生命の本源の妙法の方向へ、仏界の方向へ向かっていく。その推進を担える私たちは、人間として最高の名誉です。
大聖人は「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり」と仰せだ。風は見えない。しかし、だれも風は止められない。風は、たとえビルにぶつかっても、すき間をぬって向こうに出ていく。水も、たとえ障害物があろうと、すき間をぬって流れていく。
南無妙法蓮華経の「大風」は、だれが止めようとしても止まらない。必ず人類は、自分が大宇宙と一体であるという真理に目ざめていきます。個人で言えば、題目を唱え抜いていく人は、帆に大風を受けたように、必ず人生航路を所願満足の軌道へと乗せていける。信心が弱いのは。“弱い風”です。信心が強ければ。“大いなる風”が起こるのです。全部、一念で決まる。
大聖人は、生きて帰れないといわれた佐渡に流され、最低の状況のなかで、それでも「自分を迫害した日本の人たちを救ってあげよう」「人類を救ってあげよう」と立ち上がっておられる。
これが「仏界」です。これが「法華経の魂」です。
御本尊は、この御本仏の「日蓮が魂」をしたためられたのです。この大慈大悲が「南無妙法蓮華経」という「久遠の大生命」の脈動なのです。