役職が、人を輝かすのでは断じてない。人が、役職を光り輝かせるのだ。
「副役職」の人は、自分の責任範囲を明確にすることである。具体的に責任を自覚し、責任を果たすことによって、成長も歓喜も功徳も生まれる。
副役職の方々をはじめ、中心者を支える先輩・同志は、「異体同心」の要だ。
私は、蒲田支部の「二月闘争」の時も、さらに文京支部の「大前進」の折も、正役職ではなかった。
副役職の支部幹事であり、支部長代理であった。しかし、「必ず日本一の支部長にします!」と、真剣に守り抜き、誠実に支え切った。
心臓部は目に見えない。それでいて皆に力を送る。自分は脚光を浴びなくとも、友をもり立てて、目覚ましい躍進を成し遂げていく人は、最も気高き陰徳を積んでいるのである。
人事で交代があっても、驚かず恐れない。
学会の人事でいえば、これまでの自分の役職に後輩が就く場合などが考えられよう。
いい人材を、どんどん伸ばしていく。後輩の成長を喜んでいく心が大切である。
名聞に執着する心を打ち破る「正役職から副役職になった時など、自分が軽視されたように思い込んで、新しく幹部に登用された人を嫉妬し、学会活動への意欲をなくしてしまう人がいます。
それは『虚称(=虚妄の名聞に執着すること)』の心によるものです。その心を打ち破っていく戦いが信心なんです」