いうまでもなく、指導を誰に受けたかによって、功徳が異なることなど絶対にあるわけがない。無量無辺の功徳をもたらし、福運を薫らせるのは御本尊の仏力・法力である。決して、指導する人間の力ではない。深き祈り、真摯な実践の人に御本尊の功力は、厳然と現れる。それは、所詮は一人一人の信心で決まるものである。
信心をキチッとしていれば、どんなことでも叶いますよ。叶わないのは、そう願っていないのです。皆さんの心に聞けば、良くわかるでしょう。
まり、自分が良く変わっていきつつあるか、悪く変わっていきつつあるか、さっぱり気がつかず平気でいる。これが惰性の恐さです。信仰が惰性に陥ったとき、それはまさしく退転である。信心は、急速に、そして、良く変わっていくための実践活動です」
「広布」を願う信心の「心」には「金の器」のように、どんどん功徳が積み重なっていく。
地位が下であったり、後輩であっても、信心、実践にすぐれた人を尊敬せよ。
十年、二十年、学会のなかで信心を貫いていけば、やがて必ず、大樹となった福運が、はっきり目に見えるようになる。
「組織を強くするといっても、実質的には「一人一人の信心を強くする」以外にない。