池田先生ご指導

大悪という試練の溶鉱炉に鍛えられてこそ、大善の鋼鉄を打ち出すことができるのだ。だから、嘆いてはならない、むしろ舞を舞うが如く、喜び勇んでいくのだ!

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勤行という行動、広宣流布に奉仕するという行動、両者がいったとなって、妙法の無限の力を、この一生を生きぬくわが身に開いていくことができる。「行躰即信心」が仏法の世界である。すなわち行動こそが即信心であり、行動なくして正しき信仰はありえない。その行動とは、この自行・化他という、御書に仰せの通りの軌道である。


「仏法は『変革の哲学』であり、『逆転の思想』である。
大悪という試練の溶鉱炉に鍛えられてこそ、大善の鋼鉄を打ち出すことができるのだ。
だから、嘆いてはならない、むしろ舞を舞うが如く、喜び勇んでいくのだ!
誰が見ても、大変だと思うような悪条件がある。だが、一人がそれを破れば、状況は一変する。その人の勝利は、同様の苦悩をもつ万人の希望となり、勇気となる」