池田先生ご指導

なすべき時に、なすべきことを率先して着々と勇敢に実践するのが、広布の途ではなければならない。臆病者は去れ、と私は言いたい!」

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一月三十一日、西神田の本部での支部長会において。
一月の入信世帯数は、六百三十五世帯であった。足踏み状態である。発表を聞いて、心あるものは、その低調さを反省しはじめていた。
この時、戸田は即座に立って、やや激昂した面持ちで言いはなった。
「雁行進は、今月をもって、いっさい打ち切りとする!」
 厳しい口調であった、場内は呆気にとられて、静まりかえり、みな戸田に視線を集中した。戸田は三百人近い幹部を前にして、ひとまず昨秋からの組織の整備は終わったと思ったのであろう。これらの訓練してきた幹部を、思うぞんぶん活躍させる時が、今こそ来ていると判断した。
「四月の七百年祭を目前にひかえ、今月のようなだらしない低調さで、いったい何時の日に目的を達することができるか、まことに心もとない次第です。支部長の確信のほどが、どんなものか、思いやられる。もしも、ここ二、三ヶ月、このままの状況がつづいたとしたら、その支部の支部長は進退を明らかにしてもらいたい。
 雁行進を今月で打ち切りとする以上、来月からはどのような態勢で進んだらよいのかといえば――驀進あるのみと私は答えよう。そのために、新組織の決定をもみたのです。活動の重点は、各支部内の組織におかれたのであるから、今後は『組本位』のこまかく強靱な活動にはいるべきです。具体的にいうならば、『組』は月に必ず一人以上の折伏入信を敢行すべきであり、今日の学会は、その程度の実力は充分備わってきたと、私は思うのです。
 なすべき時に、なすべきことを率先して着々と勇敢に実践するのが、広布の途ではなければならない。臆病者は去れ、と私は言いたい!」
 この叱咤激励に、聴きいるものは緊迫した。支部長のなかには、雁行進という微温的な、家族的な雰囲気の進軍では闘争がしばられてしまう思いをするものもいた。そうした闘争家たちは、驀進!と聞いて、はたっと膝をうつ思いであった。
 戦いの勝利のためには、時に応じ、機に応じて、もっとも有効な手を打つのが指揮官の任務である。厳しい情勢を一変させるために、絶えず価値的な先手を打つことができなければ、多くの人びとはとまどってしまい、苦しむ場合が多いことを、戸田は、指揮者として常に肝に銘じていかなければならなかった。
 戸田の心の動きを、いつも速やかに察知して実践する山本伸一は、当時、蒲田支部の支部幹事を兼任したばかりであった。戸田の本命である折伏戦が断行され、その闘争の一大推進者として、そろそろ「伸」を出すか、といって任命したものである。
 伸一は組単位の闘争ということを信条として、支部内の組織活動を緻密に立案し、ただちに実践していった。そして、みずから東奔西走して、支部内の空気を一変させてしまったのである。その結果、ついに二月の折伏成果二百一世帯を達成して、支部の面目を新たにしたのであった。当時、百世帯前後の成果がA級支部の限界であったのである。一支部で二百世帯をこえる成果を出すなどということは、夢のようにさえ考えられていた。多くの活動家たちは目を瞠った。
そして、戸田の言うとおり、必ずできるという確信をもつにいたったのである。その後、「二月闘争」とう学会の伝統が、いつかできたが、その先例は、じつはこの時にあった。
 一人の勇気ある先駆者があれば、それは見事な模範となって、多くの人びとを無言のうちに率いていくのものだ。
人間革命第5巻「驀進」から