度重なる苦難こそ「まことの時」
- 御 文
- 鉄を熱にいたう・きたわざればきず隠れてみえず、度度せむれば・きずあらはる(開目抄、233ページ)
- 通 解
- (法華経弘通ゆえの難に遭うことで、過去世からの罪業が現れ、消し切ることができる。たとえば)鉄を焼く時、強く鍛えないと、その中の傷は隠れたままで見えない。度々、強く責め鍛えると傷が現れてくるようなものである。
同志への指針
日蓮大聖人は「大事の難・四度なり」とも仰せである。命に及ぶ大難を、幾度も勝ち越えるお姿を示されたのだ。
我らは、その直系である。病気の再発など度重なる苦難にも、断じてたじろぐことはない。全ては金剛不壊の生命を鍛え上げる仏の計らいだからである。
「まことの時」に嘆かず惑わず戦い、永遠に崩れぬ常楽我浄の大境涯を開くのだ!