池田先生ご指導

しかして、信心により、仏界の顕現があるとき、これらの地獄界等は、決してなくなるのではなく、いままで不幸へと働いていたのが、かえって幸福へと働くようになる。奥底の一念が汚れ、力弱かったために、それらの働きに引きずられていたのが、今度は強き一念によって、それらを逆に引きずり、用いていくのである。

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池田先生ご指導

宿命は、それぞれみな違ったものをもっている。しかし、こうなりたい、ああなりたいと思う方向へいけるのが妙法なのであります。 信心によって、自分のいきたい方向へ十分いけるのです。

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池田先生ご指導

祈りは叶うまで続けよ …では、時として、祈り叶わないように見えるのは、なぜなのか。

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池田先生ご指導

「我が心性」とは、われらの生命である。われわれの生命は無始無終であり、永遠不滅の存在である、しかも、それは芥子粒ほどの小さな物体に宿るのも自在であり、大宇宙に充満することも自由である。すなわち、時間、空間ともに超越した不可思議の存在であるとおおせである。

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本日の御書

本日の御書 法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはいなるべし(曾谷殿御返事p1055)

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池田先生ご指導

魔とは観念ではない。生命自体の一実相であり、さまざまな現象となってあらわれてくるものである。幸福への反作用である以上、魔はあらゆる姿で仏道を求める者を妨害しようとするのである。

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池田先生ご指導

御本尊を信じて朝晩きちんと拝み、念じ、訴えるならば、その一念によって、全宇宙というものが、自分の願いと同様に作用し、願いどおりになる。

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池田先生ご指導

広布のために命懸けで仏法を実践する行動のなかでしか「仏と魔」「善と悪」を見破る力は培われない。

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名字の言

〈名字の言〉 2018年12月6日  「能力の欠落ではなくて、脳の認識の仕方が違うんです」。

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戸田先生ご指導

宇宙をはじめ、外界の現象だけを追う。内なる生命には関心を向けない、そこに、現代文明の根本的な狂いがある。

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