


現代の人間は非常に欲張りでありながら、成仏という絶大な利益を願わない点においては、無欲とも愚かともいうより他はない

世間の財宝も、地位も、名誉も決して生命の飾りとはならない。唱題の功徳こそ永遠の生命の財となりゆくのである。

相手の自我拡大に努力した人だけが、その果報として、自分の自我が拡大するといえるのであります。

それを解き明かそうとして何千何万という哲学者が挑んだ。幾多の宗教が生まれた。結論して言えば「妙法」にしか答えはない。

仏法は道理です。信心をしているから大丈夫と考えるのは間違いです。 “健康になるぞ!”と深く決意し、唱題に励み、規則正しい生活を送っていく。

戸田先生は、病気の人の話を聞くと、その晩、その人の夢を見ることがあるくらい、一緒に苦しんであげていた。

またつぎに、折伏したものを、最初よく指導してやらぬはいけない。御本尊を持たせっぱなしなどということは、かわいそうなことだあるから、よくよく、その点は考えなければならない。

法華経の行者として戦い抜く中で、法に背く悪の生命が叩き出され、無明を破ることができるのです。その具体的実践が「悪と戦う」こと、すなわち折伏の実践に他なりません。
