
池田先生ご指導


妙法の功力を、生活へ、社会へ実証しようとの緊張した一念が、より一層の自己革新をうながし、より深まった自己の境涯が、今度は、生活、社会への確実な実証となって、はねかえっていく。

それと同じで、御本尊を信じて題目を唱えていくと、その人の生命の中に仏界のおもしができたようなもので、その人のもつ特質のうち、よい面が表に出て、悪い面が出てこないように徐々に変わっていくのです。

本日の御書 世尊大悲導師阿闍世王のために月愛三昧に入りたもう三昧に入り已つて大光明を放つ其の光り清凉にして往いて王の身を照すに身の瘡即ち愈えぬ

本日の御書 我等一切衆生螻蟻もんもう等に至るまでみな無始無終の色心なり、衆生に於て有始有終と思ふは外道の僻見なり汝外道に同ず如何と云う可きなり

だが、これを生涯実践しぬくことによって、自己の生命の基調を仏界にしていくことができる。千里の道も一歩よりで、刹那成道、即身成仏の瞬間瞬間の積み重ねによって、汝自身の生涯を貫く基調として仏界を確立しきっていくことが、一生成仏という原理になる。

毎日三千遍の題目をあげていこう。その一日三千遍の題目があがると生命の回転が始まってくるのだ。 生命がきれいになってくるのだ。 三千遍の題目があがると学会のリズムになってくる。

私たちが大御本尊に唱題・祈願するとき、祈りの強弱、宿命の浅深によって、その祈りと功徳の現れ方が四つの場合に分けられる。

しかし、最初は反発があっても、偉大な妙法を説き聞かせたことは、必ず仏性を薫発する縁となる。相手の成仏の因を作ったのである。これが「毒鼓の縁」という法理である。
