
池田先生ご指導


魔とは観念ではない。生命自体の一実相であり、さまざまな現象となってあらわれてくるものである。幸福への反作用である以上、魔はあらゆる姿で仏道を求める者を妨害しようとするのである。

御本尊を信じて朝晩きちんと拝み、念じ、訴えるならば、その一念によって、全宇宙というものが、自分の願いと同様に作用し、願いどおりになる。

広布のために命懸けで仏法を実践する行動のなかでしか「仏と魔」「善と悪」を見破る力は培われない。

〈名字の言〉 2018年12月6日 「能力の欠落ではなくて、脳の認識の仕方が違うんです」。

御本尊様は無上の宝珠、如意宝珠であるから、あなた方の願いは、なにごとも、かなうことになっている。それをつかみ出せないのは、あなた方の信力がたりない、行力が足りないからなのです。

一瞬も止まることなく運行し続ける大宇宙も、すべて、妙法の律動にのっとっている。科学の探究が進むほど、仏法の英知と合致していくのである。

人生も広宣流布も、勝利の源は題目である。気迫の祈りである。 魔を打ち破るのも題目しかない。邪知の策謀を打ち破るのも題目である。

題目は、苦悩を歓喜に変えます。さらに、歓喜を大歓喜に変えます。ゆえに、嬉しい時も、悲しい時も、善きにつけ、悪しきにつけ、何があっても、ただひたすら、題目を唱え抜いていくことです。これが幸福の直道です」
