
池田先生ご指導


凡夫の常として、健康なときよりも、病気を機に発心して、信心が強盛になり、もっと本源的に宿命を転換していく場合が多い。そうであれば、病気になったとしても、いたずらに悲観することもなければ、まして御本尊を疑うことなど、考え違いと言わざるを得ない。

『健康になる』『丈夫になる』、そして『広宣流布のために生き生きと働く』――こう決めた瞬間から、生命はその方向へ動き始める。

つまり、日々の学会活動はもとより、毎日、毎日の生活の姿や行動が、すべて妙法の種子を植えていく大切な作業であるということを、自覚していただきたい。

仏法の力を教えるというのは、たとえば、千年も前に、原子力のことを教えたり、ラジオやテレビのことを説明するようなものなんです。だから、一生懸命に話をしても、なかなかわからないかもしれない

題目の功力は、宿業を転換し、福徳を呼び起こす。この真実にして甚深なる妙法を信受して進むのだ。真剣に唱題し抜いた人は、いかなる苦難があっても、最後は必ず勝つ。

「信心」とは、いわばこの「冥の照覧」を信じ切ることと言えるでしょう。 私も、それを信じて、人の知らないところで戦ってきました。

信心をしなかった親であっても、子である自分が妙法を受持すれば、その功徳は親の功徳ともなる。

本来その宿業は少しずつしか出ないために、何世にもわたって、長い間、苦しまなければならない。 しかし、信心に励むことによって、これまでの宿業が一気に出てくる。
