
戸田先生ご指導


大御本尊様を信じまいらせて題目を唱うるとき、信は因となり、口唱は果となって、この信行倶時にして仏果をえ、われわれの生命のなかに、久遠無作三身如来の御生命がヒシヒシと流れつたわってくるのである。

水道の水はきれいなものにきまっている。ところが、そこにホースを付ける。そのホースは、そうとうに長い。その中にクモの巣や、サビや馬の糞がはいっていたとする。そうすると、水道の水を出したのに、きたない水が出る。

最後は必ず幸福になるに決まっているからです。一切を幸福という目的地に至る修行であり、鍛えであると受けとめていけばよいのです。

十年、信心をしっかりやれば、その人の生命は、じつに清らかな生命となり、皮膚といい、目の様子といい、一つ一つの動作といい、みな、柔和な、清浄なものを、それでいて威厳のあるものを持つようになる。

世界広布新時代第35回本部幹部会 関東総会から(要旨) 原田稔会長 2018年6月8日

十年、信心をしっかりやれば、その人の生命は、じつに清らかな生命となり、皮膚といい、目の様子といい、一つ一つの動作といい、みな、柔和な、清浄なものを、それでいて威厳のあるものを持つようになる。それが御本尊の功徳である。

仏は先を見通しであられるし、こちらはお先真っ暗で、過ぎ去った後のほうだけ見通しなのでありますから、御本尊のお心はわれわれには悟りがたいというわけであります。

もしも大病院で、毎日、一時間、服用したら必ず物心ともに幸福になる」という薬が発明されたら、門前市をなすだろうな。大金を払い、何時間、行列してでも皆、毎日、通ようだろう。
