
sokaxx


病気になるから人生の敗北があるのでは断じてない。 まして、「病気になったから信心がない」などと、周囲の人が決めつけるのは、あまりにも無慈悲です。病気と闘う友には、心から励ましてこそ同志愛です。

「大確信で話すのだ。そして、相手に会った瞬間、まず『勝つ!』と腹を決めるのだ」

朝の勤行では、 「今日も最高の仕事をし、職場の勝利者となり、信心の力を証明してまいります」 と決意の祈りを捧げるんです。

信心は、究極においては神経質であってはいけません。 「罰があろうが功徳があろうが、御本尊様は絶対だ。どんな事態があっても、一切が変毒為薬されるんだ。何かの意味があって、この現証があるんだ」こう確信し切って、題目をあげて、あげ抜いていく。

この勤行・唱題という仏界湧現の作業を繰り返し繰り返し、たゆになく続けていくことによって、我が生命の仏界は、揺るぎなく大地のように、踏み固められていく。

いいか大作、途中に何があろうが 最後に勝て!断じて勝て! 最後に勝てば、全部、勝利なのだ!

怨嫉というのは、自分の功徳、福運を消してしまうだけでなく、広宣流布の組織を破壊していくことになる。だから怖いんです。

強くなるんです。 強くなれば、悲しみさえも栄養になる。 苦悩が自分を清めてくれる。
