河合師範ご指導

信心は心ですること。頭でするのではない。心を、素直にぶつけることを祈りという。できるかどうかではなく、「こうなりたい!」と祈ればいい。必ずそうなる。信心は簡単です。

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「愚痴を言わない」「文句を言わない」「怨嫉しない」これを『三悪追放』と言う。功徳を消さないコツ。
その上で決めて祈って動いたら功徳が溢れてくる。その方が得。信心はスッキリと、「困った!御本尊!」と全部祈ることです。
「良くしよう!!と祈れば良くなる。それ以外は無駄。みんな勤行・唱題しているが、一念がきちんと御本尊に向いているかどうか。それが、祈っているかどうかということ。
「絶対信心で解決しようという強い決意と、具体的な目標を決めて一念を定めて祈っていること」を『祈る』と言う。
祈るから叶う。唱題してても祈っていない場合、決意・目標が曖昧な祈り、唱題のための唱題、これは、『惰性の祈り』。
「どうしようか」と方法論を考えている唱題は『迷いの唱題』。
「だめだろうなぁ」と思って祈っている『不信の唱題』は一念が御本尊に向いていない。
祈ってないから叶わない。唱題ではなく祈りが大事。
具体的に強く祈ること。そうすれば叶う。それ以外は叶わない。唱題のための唱題もつまらない。
先生は「疑いや形式であれば、たとえ100万遍あげても境涯が開けるものではない。自分自身の発心で、目標を決めて唱題すれば必ず開けるのである。
義務的・形式的な勤行・唱題、それは惰性のあらわれであり、空転を生むだけである。きちんと一念を定めて祈らなければだめだよ。」と言われている。
こうなりたい、こうしたいと祈ればよい。
信心は心ですること。頭でするのではない。心を、素直にぶつけることを祈りという。できるかどうかではなく、「こうなりたい!」と祈ればいい。必ずそうなる。信心は簡単です。