名字即の凡夫です。我々は御本尊を拝んだのですから、名字即の位です。名字即の位になりますと、もうこのなかにかくかくとして御本尊様が光っているのです。
ただし光り方は信心の厚薄による。電球と同じです。大きい電球は光るし、小さい電球はうすい。
さらにこの電球の例でいえば、信心しない者は電球が線につながっていないようなもので、我々は信心したから大御本尊様という電灯がついている。だから顔の色つやもよくなるのです。信心して青い顔している者は、信心したといっても本当にしていない。インチキなのです」「桜色にパッとしていなければならない。いくら年をとっていても青年のような顔色、そう思うと私もうれしい」