池田先生ご指導

御本尊を拝する人における「現世安穏」は、いかに諸難、苦労があっても、御本尊に強き祈りの信心があることそれじたいが、じつは因果倶時で「安穏」なのである。

われわれは、現世が幸せ、安穏であり、さらに永遠の生命から来世も善き所に生まれ、幸せでありたいと願うものだ。これが万人の悲願であろう。
それを築いていくものは、各人の「一念」のあり方である。
だが「一念」は動きやすい。何に不動の一念を定めるか、これが人生における根本といってよい。結論していえば、大宇宙の根本たる大御本尊に南無し奉るとき、幸せ、安穏へと一念が定まるのである。

現実には多くの苦悩、不幸があるにちがいない。しかし、御本尊を拝する人における「現世安穏」は、いかに諸難、苦労があっても、御本尊に強き祈りの信心があることそれじたいが、じつは因果倶時で「安穏」なのである。
そして、大御本尊に南無した強き信心の一念によって、かならずや冥益で、現実の生活、人生に、永遠に崩れない福徳、功徳が深まり、広がっていくのである。
さらに、この「現世安穏」を現証として、かならず大御本尊に連なった一念は、「後生善処」となっていくのである。

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