人から言われたから話すとか、こう言えば相手に良く思われるだろうとかそんな考え方は随他意です。素朴でもよい。口下手でもよい。相手を救おうという一念で懸命に祈り、仏法の素晴らしさを自分の言葉で確信をもって語りきっていく。 これが法華経の精神です。
人生は長い。人生には必ず行き詰まりがあるだろう。そのときは唱題である。そうすれば雲が晴れていくように、必ず無限の境涯がいつしか広がっていくものである。行き詰まりとは、より以上、広々と自分の境涯と福運を開いていける山の頂上を前にしたようなものだ。
師子王とは信仰者の異名です。自身の宿業を悠々と見下ろし、むしろ逆境をも楽しみとしながら、すべてを打開していけるというのです。人生の幾山河に苦難はつきものです。しかし、信心さえ負けなければ、なにも恐れることはない。絶対に勝っていけるのです。