仏といえども第六天の魔王の生命を持っている。日蓮仏法の御本尊にも、この、魔王がきちんと記されてある。
その意味では、仏というのは内なる第六天の魔王を、南無妙法蓮華経という光明で克服している姿といえるかもしれない。
自分の持つ悪魔性に勝利している姿だ。
こんなに苦しい、こんなに一生懸命題目を唱えているのにというところで退転してはいけない。
もう少しやればいいのだ。そうすると宿命の転換になってくる。
天台の最高峰の学匠になるよりも、末法にどんな業病をもって生まれても妙法を唱えた方がよい。
こんな難しい仕事が出来るだろうかと尻込むのと、よし! やってやろうと考えるのと、紙一枚の差だ。ところが死物狂いで頑張っていると、次々に自分になかった力が出てくる。いや、持っているのに出さなかった力が湧いてくるのである。