戸田先生ご指導

信心とは、御本尊様をいただくということで、仏になる木を植えたことであり、目には見えぬが、この五体を、諸天善神が、夜となく昼となく、懸命に守っているのです。

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今、ここに三つの地所があり、第一の畑にはなにもまかず、第二の畑には菜をまき、第三の畑には宝のなる一粒の種をまいてあったとする。
第一の畑に子どもが入ったとしても、しからないであろうし、第二の畑に入ったとて、真剣にはしからない。第三の畑にはいったなら、真剣になってしかるであろう。
これは、心田に仏になる種を植えたからである。
信心とは、御本尊様をいただくということで、仏になる木を植えたことであり、目には見えぬが、この五体を、諸天善神が、夜となく昼となく、懸命に守っているのです。
種が芽を出し、木に枝を出し、葉が茂り、花が咲き、実のなるのもわずかのうち、こうなると畑の値段もうんと高くなる。これを成仏の境涯というので、そこまでいかずとも、葉が茂るころは、ほんとうに人生の幸福生活ができるのです。

あなた方は、まだ芽を出すか出さぬかのとき、芽を出して虫に食われてはならない。
草ぼうぼうにしていたならば、芽が腐ってしまう。
弘教とは、心田にある雑草を取ること。朝夕の題目は、畑に肥やしをやること。
心田に植えた種の上に、絶えず肥やしをやり、雑草を取って、幸せになりなさいよ。
せっかく心の田に仏の種を植えたのである。大切に育てなければ、損である。
魔の虫に食い荒らされたり、行動を怠って枯らしたりせず、人々が感嘆し、見上げるような、堂々たる幸福の大樹を生命に育て上げていただきたい。