広布流布の大道を歩む私たちは、けっして〝これでよし〟などと現状に安住するようなことがあってはならない。それは結果にとらわれる信心であり、もはやそこには〝退歩〟しかない。
せっかく信心しているのに〝怨嫉〟してはいないだろうか。環境に負けてはいないか。マンネリズムに陥ってはいないか。魔を見破れないでいることはないだろうか等々、健康診断ならぬ〝信仰診断〟というものが、人間はときどき必要ではないか。
大切なことは、信心の指導をするのであって現象面のみに目を奪われて、解決方法のみに終始してはならないというのです。「体曲がれば影ななめなり」ですから、信心の姿勢をきちんと正していくことが肝心なのです。信心が体で、困っているものは影なのです。